糸島 うみかえる&うみテラス 2012-現在
うみかえる 2015〜
筑前深江海水浴場の入り口にある昭和6年に炭鉱を運営する会社の別荘として建てられた木造建築。雨漏りで屋根が崩れ落ちているところを修復しながら利用しています。
地元のあたらしい住民を中心に自然農や食、環境や教育、福祉などをテーマとしたシェアスタジオとして使ってもらっております。
うみテラス 2012〜
株式会社藤スタジオの本社。一階にかえっこ事務局の集配所と海に面したフリースペースがあります。2階は藤スタジオの事務局と制作スタジオ、3階は住居となっています。
FaceBookのサイトで時々情報出しています。
鹿児島 e-terrace 10F Hall 11F 1998-現在
イイテラス・10F Hall/11F 1998〜
イイテラスは鹿児島市の中心部にある生まれ育った実家のプロジェクトです。11階建の住宅、事務所などが入居する賃貸の複合ビルですが、その10階、11階には入居者や外部の方が自由に使える貸し会場、10F Hall・11Fとして運営しております。
■所在地
〒890-0054 鹿児島市荒田1丁目16-7 イイテラス
秋田 旭スタジオ 2017-現在
秋田駅と秋田公立美術大学の中間地点、川元小川町のバス停のところにある秋田での活動拠点、シェアスタジオ。
隣接する敷地には秋田公立美術大学の卒業生、学生が運営するクリエイティブなプロジェクト空間、オルタナスと、家庭菜園のある川沿いのリノベーション型アパート&ゲストハウスのある旭南ハイツがあります。
秋田市文化創造館の近くにかえるくんが暮らしていた「かえるくんち」が一時ありました。(噂)
今は離れてしまったり、もう解体されたりした場所もありますが、かつて活動の拠点として借りていました。
ここからさまざまな活動が連鎖しています。
秋田 大町クラチック 2020-2024
秋田市内中心部の明治37年に作られた町屋を活用した住居兼制作スタジオ。ここでコロナ禍を過ごしました。
家の中に傾きかけた土蔵があり、裏には駐車場直結の土間の倉庫もあり、魅力的です。生活の場とものづくりの作業場を兼ねた古民家型表現空間として利用していました。
現在は若手のアーティストの活動拠点として新しい場として動き始めています。
青森 奥入瀬画廊 2014-2019
青森県十和田市の奥入瀬渓流の入り口に位置する奥入瀬画廊。なんらかの活動拠点にしようとしながら、5年近く借りていたのですが、若い作家がちらりと使っただけど、ほとんど活動できませんでした。ここを拠点に奥入瀬プロジェクトを行おうと思っていたのですが・・・。もうすでに取り壊されてしまいました。
大阪 此花メヂア 2008-2013
大阪の此花区のにあったメリアス工場跡地をシェアスタジオとして開いていたところ。
この拠点が引き金となり、此花区にさまざまな創作者が移住してきた。今は役割を終えて世界で注目される此花に。この土地のあとに新しいゲストハウスができています。
埼玉 北本タワー 北本ビタミン 2008-2013
2008年の真夏、北本のキャンプ場で5日間の合宿形式のアーツキャンプを実施。その後北本駅前の元家具やの4階建てのビルを借りてそこでアーティストが活動できる状況をつくり…紆余曲折あり…いろいろなアーティストが北本を現場にそれぞれのプロジェクトを展開したり、北本にスタジオを構える若手作家も増えてきて…結局キタミン・ラボ舎というNPO法人が立ち上がり…ですが、語ると語りきれない・・・
もうこの場所は解体されています。
しかし北本には新しい活動が芽生えておりました。
僕自身の関わりはブログサイトでご覧ください。
福岡前原 スタジオFarm 1997-2020
間口9mで奥行きが65m〜100mの養鶏舎が10棟ある養鶏場跡地に出会ったのが1997年。工房、バーベキュー、乗馬、倉庫に使えると表記されたアーティストビレッジRSミサカの一部を借り始め、かなりお世話になったところ。現在も数十名の作家、工芸家、大工、など様々な作り手が活用しています。家庭からの廃棄物のごみゼロエミッションのプロジェクトもここがあったから展開できました。1997年から2003年ぐらいまではかなり活発に使いましたが、かえっこプロジェクトが全国に展開し初めて以来、ほとんど倉庫になってしまいました。特にうみかえるの拠点ができて、東北にも拠点ができてからは使うこともなくなり、23年間お世話になった楽園は2020年6月に退去してしまいました。本当にお世話になりました。
鹿児島 media garden E-Space 1989~1996
1989年、パブリックアートのひとつの捉え方の提案として鹿児島の中心地にある実家を改装し、表現の場としての作品Media garden E-SPACEを制作。その後カフェ空間としてさまざまな方に利用され7年間運営しましたが、経営上の問題とさまざまな事情で1996年に営業をやめ、取り壊すことになり、その跡に建設されたのが30年後にアートセンターとして再構成することをイメージして計画された複合ビルe-terraceです。
e-spacesince 1989
本駒込 Fh ファクトリエ 1989~1992
東京の文京区あたりで再開発のために取り壊しになる家を借りてそれをスタジオとしたり活動の素材にするために文京区、白山に本社を置く再開発業者に就職する。当初取り壊す前の木造住宅、工場跡などを転々と暮らしつつ、作業しつつ使わせてもらっていたが、最終的に無償で借りたのがこの建坪30坪程度のコンクリート3階建のこの物件。会社はすでにバブルの崩壊とともに倒産しつつありましたがそこが開発地の移転先として購入したいたこの物件を銀行が差し押さえるまでという条件で使わせてもらっていました。当時、都市計画事務所の社員として勤めながら、休日や夜にここでやせ犬の制作などを行っていました。ある時、1トンのお米の砂漠の空間作品を制作し、プライベートアートとして公開したり、2048匹のお米のカエルを制作するためのスタジオとして使わせてもらいました。
京都 上桂1-115 1983~1986
大学時代に3年間借りていたスタジオ兼住宅。当時空き家となっていた親戚の関連会社の社宅の草刈りをアルバイトとして頼まれていました。数年間使わない状態が続き、家の中も随分と状態が悪くなっていて、次の人が入ることが決まるまでの間、掃除を綺麗にしながら住んでも良いという条件でこの広い庭つきの2階建の一軒家を無料で借りることになりました。2階に3部屋、一階に4部屋もある物件だったために、2階に当時始めた「軽茶倶楽部」の部室の茶室をつくったり、音楽録音部屋をつくったり、東京からのアーティストの勝手なレジデンスの場になったり、展覧会の打ち合わせ会場になったり、大学院を卒業したあとも、ここが拠点となってさまざまな活動が始まりました。そういえば、京都芸大の演劇部だったとあるパフォーマンスグループ(ダムタイプ)が芸大を追い出され、事務所を持たない時期、ここを制作スペースとして貸したこともありました。混沌としていました。